神戸こどもblog

保育士の資格がとれる専修学校「神戸こども総合専門学院」のブログです。六甲山の西、標高407m、豊かな自然のなかにあります。
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ことばの保守性と変革。たとえば、一人称。
 「おはよう♪」と挨拶すれば、「おはよう♪」と返される。ことば(会話)は、ことばを掛ける相手に通じることを前提として語られる。これを仮に「ことばの保守性」としておく。しかし、「ことば」を論じるときは、しばしばそのことばのつかわれかたの変更を求めたり、差異を強調することになる。私もこのブログで「ことば」をカテゴリーとして扱うとき、"変更"や"差異"に触れることになるだろう。人は、他人から、ことばの扱いについて、とやかく言われて快いとは思わない。ときには、強い不快感を伴う。それは、ことばには保守性があり、ことばは人格のひとつであるからだろう。
 
 私は「ことばの保守性」を支持している。ことばのつかわれかたの扱いで戸惑うとき、それは自らの保守性を問う作業が始まったからだろうと思う。
 
 ひとつ例を示そう。自分の呼称、つまり一人称について考えてみる。幼い子どもは、他人が自分を呼ぶその言葉をそのまま自分の呼称につかうことが多い。「あっちゃん」、「まーくん」、等々。小学生になればやがて、「わたし」や「ぼく」に変わる。男の場合、「ほく」のままで行くか「わたし」と変更するか、自問自答した経験のある人は多いと思う。ほかにも「おれ」「わし」「おいら」などの一人称があり、その呼称がふさわしいのかどうか考えたり悩んだりした経験はないだろうか?
 親の呼称もそうで、「おかあちゃん」から「おかあさん」へ、「私の母親です」、「私の母です」等々、ことばの言い換えにはストレスがあっただろうと想像される。
 
 だから、私がこの「ことば」のカテゴリーで、ことばについて論じる意図は、こういう考え方もある──というゆるやかな気持ちで読んでいただけたら幸いである。
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