神戸こどもblog

保育士の資格がとれる専修学校「神戸こども総合専門学院」のブログです。六甲山の西、標高407m、豊かな自然のなかにあります。
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『ガラスの家族』

『ガラスの家族』
キャサリン=パターソン(作) 岡本浜江(おかもとはまえ訳)
偕成社 1260円(税込み)
1984年10月発行 262p 四六判(縦195×135)厚21mm 上製 370g
ISBN 4-03-726250-9
(偕成社文庫版もあります。税込み735円)


※ 児童養護施設に関心のある方は、この本を読んでみよう!



少女ギリーの欲した家庭とは?
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 11歳の少女ギリーは、3歳で里子に出され、今3番目の里親のもとにたどりつこうとしている場面から物語は始まります。

 ケース・ワーカーのエリスが運転する車のなかで、エリスは新しい里親に気に入られるよういろいろ
と注意するのですが、ギリーはふうせんガムを「エリスさんの頭がすけて見えるくらいに大きく」し、それが破裂して、「前髪や、ほおや、あごにくっついたガム」をはがしている始末でした。


 転校して早々、バスケットボールで遊んでいた男の子たち6人のなかにギリーは割り込み、ボールを奪い、喧嘩になってしまった。というより、喧嘩をしかけたのでした。


満身の力をこめて、ひっかいたり、けっとばしたりした。男の子たちはきずついた子犬みたいに、キャンキャン鳴いた。(本文より)



 ギリーに言わせてみれば、「カバみたいに大きな」「クジラのあぶらみたいな」おばさんが新しい里親トロッターさんでした。そしてギリーとはだいぶ年下の、先に世話になっていたウィリアム=アーネストという少年がいて、ギリーを入れると3人の住まいでした。隣には、盲人のランドルフさんがいて、夕食どきは4人になるのでした。


 トロッターさんに頼まれて、ランドルフさんの家にさがしものをしに行ったギリーは、そのとき、ランドルフさんの所持金を見つけ、それを盗んでしまいます。その後、トロッターさんの開いていたバッグからも大金を盗んでしまうのです。お金があれば、母のいるサンフランシスコに行けると思ったからでした。


 大金を盗んだその日、すぐにサンフランシスコに向かいました。すぐに見つかりそうだからです。長距離バスの駅で、ギリーはその挙動不審を見抜かれ、警官がやってきます。そして、トロッターさんも、ウィリアムも。



 どうしようもない悪い子──ですよね、ギリーは……。

 3歳で別れてそれきり会ってない母の写真を、ギリーは大切にしていました。写真の母は、「つやつやした黒髪が一本のみだれもなく、きれいなウェーブになってさがっている。まるでテレビの女優さんみたい」

 その写真の片隅に、こう書いてありました。

 「わたしのかわいいガラドリエルへ、いつも愛しています」


 ガラドリエルがギリーの正式な名前でした。ギリーはおかあさんに会いたかった。おかあさんに会いたいがために、お金が欲しかった。



 
 トロッターさんは、警察から引き取ったギリーに、ある取り引きを提案し、ギリーはそれを受け入れます。トロッターさんは、天性的なやさしさを持っている、という人柄(私の印象ですが)。機知はあるやなしや? しかし、臆病なウィリアム=アーネストのためには、そして、ギリーのためには、身を張って守り抜こうとします。


 11月の半ば、ランドルフさんがインフルエンザにかかりました。盲人なので一人で住まわせておけないので、3人たちの食堂にベッドをつくって面倒をみました。そのためか、トロッターさんもウィリアムも次々とインフルエンザになり、元気なのはギリーだけになってしまいました。


 巨体のトロッターさんが病人になってしまうと看病が大変、ウィリアムは寝小便をするしで、ギリーはくたくた。そこへ、思わぬ客が飛び込んでくるのです。ギリーの記憶にはなかった実のおばあさんでした。



 親権者が引き取ると言えば、法は逆らえず、ギリーはトロッターさんの家を出なくてはならなくなります。そして、やがて、ギリーはあこがれの母に会うことになるのですが……。


 家族とは何か?
 しあわせとは……?


 荒れていたギリーがなぜ立ち直れたのか?──そういう読み方もできるでしょう。
 しっとり、じっくり考えることのできる小品。

『きらきら』

『きらきら』
(ヤングアダルト向けフィクション)
シンシア・カドハタ(著) 代田亜香子(だいたあかこ訳)
白水社 1575円(税込み)
2004年10月発行
207p 四六判(縦195×140)厚21mm 上製 370g
ISBN 4-560-04795-2
原題: Kira-Kira

アメリカ南部に生きる日系人の暮らしを、子どもの目で見る。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
※ 以下、カラーで表現した箇所は、本書より引用しました。

 わたしは1951年、アイオワ州で生まれた。


 その「わたし」の名前は「ケイティ」で女の子。物語の最初は、もうすぐ5歳になる頃で、そして、4つ年上のお姉さんの名前が「リン」。ケイティとリンのお父さんの名前は「マサオ・タケシマ」。お母さんの名前は「キヨコ」。


 うちの両親は、アジアの食材を売る小さな店を営んでいた。残念ながらアイオワ州にはアジアの人がほとんどいなかったので、リンとわたしがはじめて冷蔵庫の下のお金を数えた直後、店はつぶれてしまった。父さんにはお兄さんがいた。そのカツヒサおじさんは、ジョージア州の養鶏場ではたらいていた。そして父さんにも養鶏場の仕事を紹介するといった。母さんも、鶏肉加工工場ではたらけるようにしてくれるという話だった。店がつぶれて2,3週間後、父さんは家族を連れてジョージア州にうつり、養鶏場の仕事をすることに決めた。


 先に註釈を入れておきましょう。「冷蔵庫の下のお金」というのは、両親が銀行を信用せず隠していたお金です。姉のリンが数えてみると千百ドル。貧しいながらも、いつか家を買うために貯めていたのでした。


 さて、アイオワ州はアメリカのほぼ中央やや東よりにあり、これから引っ越してゆくジョージア州はフロリダに隣接してすぐ北側、距離にして千数百キロ。日本地図で比較してみると、北の青森から南の鹿児島へ移動するような感じです。


 わたしが一年生をおえる前に、サムソン・イチロー・タケシマが生まれた。ミドルネームは、「長男」という意味だ。サムが生まれたとき、病院の看護婦さんたちはかわりばんこに見にきた。日本人の赤ちゃんを見るのがはじめてだったからだ。サムの背中には、あざのようなあとがあった。日本人の赤ちゃんにはたまについている。だれもサムをなぐったりしていないのに、そういうふうになっているのだ。あんなにたくさんの人が母さんのことを無視してたのに、この小さい日本人の赤ちゃんを見て大さわぎしてるなんておかしい。この子が大きくなったら、きっとまた無視してアリみたいにあつかうくせに。


 これで家族は5人になりました。「あざ」というのは蒙古斑ですね。

                                  


 リンはケイティを愛していた。かわいくてかわいくてしかたがなかった。そして、ケイティもリンをしたっていた。学校で離ればなれになるとき以外はずっと一緒だった。
 リンがケイティに教えた日本語が「きらきら」でした。


 きらきらというのは、日本語で「ぴかぴか光っている」という意味だ。


 道に寝転がり、リンは夜空の星の輝きで「きらきら」を説明したみたい。ケイティは「きらきら」という言葉が好きになったのですが、心ひかれるものを「きらきら」と言ってみる──そうなふうでした。きれいな青い空、子犬、子猫、ちょうちょ、色つきのクリネックス。


 「クリネックス」というのが、ちょっとわからないでしょう。それはアイオワ州にいたころ、畑のトウモロコシが倒れるほどの強い風が吹き荒れていた日、リンとケイティは屋根に上がり、箱からティッシュを全部出して、一度に飛ばしたのです。「ティッシュは、大きいちょうちょみたいでした」。もちろん、あとで両親に叱られましたよ。



(記事とは関係ありません)


 鶏肉は、ジョージア州の経済を支えている一大産業だ。それなのに、養鶏や鶏肉加工の仕事をしていない人たちの多くは、その仕事についている人たちを見下している。そのことと、日本人だというふたつの理由で、わたしは学校の女の子たちから無視されていた。


 利発なリンは自分たちの置かれている環境をよく理解していました。そして、ケイティに説明するのです。


 「どうしてかというとね、この街には31人しか日本人がいないのに、住んでる人は4千人以上いて、4千人を31で割ると……つまり、わたしたちはものすごく少数派なの。わかる?」


 サムが生まれて、2,3年、「何ごとも起こらなかった。すごく楽しかった」(53頁)
 そして、それからのある日、「わたし」(ケイティ)が10歳半になった冬、

何もかもが変わりはじめた。1月のめずらしくあたたかい日、アパートの子たちがみんなで放課後、ドッジボールをしているときだった。


 このとき、ボールがリンの胸にあたった。


リンはうしろによろけた。わたし以外みんなが笑った。リンがよっぱらってるみたいにふらふらすると、みんなはもっと笑った。わたしは笑わなかった。だって、だれよりもリンのことはわかっているから。


 リンは、悪性リンパ腫だったのです。
 貧しい一家に、病気の治療費がとても重い負担となるのです。
 お父さんは週に7日働きました。家に帰ってこない日もありました。
 リンに頼りっきりだったケイティは自立するしかありません。


 母さんはへんなにおいがした。工場ではたらく人たちは、決められた時間以外休憩をとっちゃいけないことになっている。だからみんな、お手洗いに行きたくなったときのためにおむつをしている。このにおいじゃ、母さんもおむつを使ったんだろうな。いつかお金もちになったら、工場を買おう。そして、はたらいている人たちが好きなときにお手洗いに行けるようにするんだ。

                                  


 子どもたち3人が原っぱで遊んでいたとき、動物を捕まえる仕掛けのハサミに、サムの足がはさまってしまった。病気で体力がなかったリンとサムをおいて、ケイティは助けを求めに走ります。3人を助けたのは白人のハンク・ガーヴィンでした。


 リンも、そしてサムまで、ハンクを見てちょっとおどろいていた。ハンクはそれくらいハンサムだった。マンガ本からぬけ出てきたみたい。


 父さんと母さんは、ハンクにさかんにお礼をいった。母さんからただよってくるにおいが恥ずかしかった。さっきサムがいた病室でも、お医者さんが鼻をくんくんさせて、なんのにおいだろうときょろきょろしていた。母さんがおむつをかえる時間がなかったせいだ。だけどハンクは気づいたとしても、顔には出さなかった。鼻をくんくんさせたりはしない。ハンクはサムにコインが消える手品を見せてから帰っていった。

                                  


 その事故があった年も暮れて、お正月が来て、リンは永遠に眠ってしまいました。


 お葬式のとき、ハンクは「奥さんと子どもたちを連れて来た。ハンクの奥さんは、襟の折りかえしにUNION(組合)と書いてあるボタンをつけていた」(183頁)


 悲しくて悲しくてしかたのない物語です。
 物語の最後にあるリンの言葉で、終わりにしましょう。


 コオロギが一匹、バスルームにいて、ひと晩中鳴いていた。昼間、車のほうに歩いているとき、カラスがカーカー鳴いていた。リンは前から、コオロギとカラスは幸運の印だといっていた。ときどき、リンのいきいきとした声がきこえるような気がした。コオロギが「コロコロ」と鳴くと、わたしには「きらきら!」ときこえた。カラスが「カーカー」とないても、「きらきら」ときこえた。風が「ヒューヒュー」うなっても、「きらきら!」ときこえた。リンはわたしに、世界をそうやって見ることを教えてくれた。世界はきらきら光っていると。コオロギやカラスの鳴き声も、風の音も、そんなどこにでもあるものが、魔法のようにすてきなものになれるのだと。


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