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水辺の<通過儀礼>
立ち寄る場所とて、特にない町にすんでいるからだろうか、
よく意味もなく河原に出かける。
何があるわけでもないが、
水の近くで寝転ぶのが好きで十年来の習慣になった。
雑踏では人と出会うこともないが、
水辺ではかえって人と出会うことがある。
二年前その河原でTさんに出会った。
彼は人づきあいに疲れてはよく川を見に来るという。
そこは私とちょっと違うのだが、水が好きなところは同じだ。
そこで話がかたまった。
「ボート部を創ろう」
Tさんは、ボートの経験があり、
コーチとしての力もある人だ。
生徒を集めて、Tさんに引き合わせるまでが、
私の仕事だった。
どういうルートで集まったのかは、
未だによくわからないが、とにかく十人ほどが応えてきた。
練習の度に、遊び道具とお菓子を持ってくるY、
柔道の師範と口論して退学、一年遅れでこの学校に入学したS、
大人くさい話し方だが、ロックになると人の変わるM、
すぐにへたばりそうになる胃弱のK、
彼女にまといつかれているQ
など誰を見ても、
運動部の部活向きライフスタイルを
身につけたのはいない。
どこにもいそうな高校生だ。
Tさんはとりあえず絶望し、
私の方をうらめしそうに見た。
が、一年先の高校総体出場を目標に揚げて、
それなりの練習を重ねた。
彼らは三年生になった。
掌を血まめでいっぱいにして出場することになった
シェルフォアの千mレース。
最後の負いこみこみ百mで力つきたが、
Tさんはゴール地点までボートに伴走しながら
「行け行け行ってまえ」と怒鳴りあげている。
入賞を逃した彼らは明るく
「これでカラッぽや」とつぶやいた。
Tさんと私は自己最高のラップタイムを出した彼らに、
拍手をし、労をねぎらった。
彼らは二人の教師を胴上げし川に投げ込み、
自分らもてんでに飛び込んだ。
それはとつぜんの祝祭だった。
規則正しく流れる学校という制度的な時間を
消化するだけなら、
自分は果たして門をくぐり抜けただけのかどうか
戸惑うばかりだろう。
もしかして、
少年が大人になるために
自分たちだけの関門を自らの手で作り、
それを本気でくぐり抜けようとする苦闘を
今闘ったのではないか。
水辺で出会ったから、
Tさんにも私にも、
彼らの祭りがそんなふうに
透けて見えたのかもしれない。
(1997・3 古林 健司)
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