神戸こどもblog

保育士の資格がとれる専修学校「神戸こども総合専門学院」のブログです。六甲山の西、標高407m、豊かな自然のなかにあります。
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水辺の《通過儀礼》

   水辺の<通過儀礼>



 立ち寄る場所とて、特にない町にすんでいるからだろうか、
よく意味もなく河原に出かける。

何があるわけでもないが、
水の近くで寝転ぶのが好きで十年来の習慣になった。


雑踏では人と出会うこともないが、
水辺ではかえって人と出会うことがある。

二年前その河原でTさんに出会った。
彼は人づきあいに疲れてはよく川を見に来るという。
そこは私とちょっと違うのだが、水が好きなところは同じだ。

そこで話がかたまった。
「ボート部を創ろう」

Tさんは、ボートの経験があり、
コーチとしての力もある人だ。

生徒を集めて、Tさんに引き合わせるまでが、
私の仕事だった。

どういうルートで集まったのかは、
未だによくわからないが、とにかく十人ほどが応えてきた。


練習の度に、遊び道具とお菓子を持ってくるY、
柔道の師範と口論して退学、一年遅れでこの学校に入学したS、
大人くさい話し方だが、ロックになると人の変わるM、
すぐにへたばりそうになる胃弱のK、
彼女にまといつかれているQ

など誰を見ても、
運動部の部活向きライフスタイルを
身につけたのはいない。


どこにもいそうな高校生だ。
Tさんはとりあえず絶望し、
私の方をうらめしそうに見た。
が、一年先の高校総体出場を目標に揚げて、
それなりの練習を重ねた。

彼らは三年生になった。
掌を血まめでいっぱいにして出場することになった
シェルフォアの千mレース。

最後の負いこみこみ百mで力つきたが、
Tさんはゴール地点までボートに伴走しながら
「行け行け行ってまえ」と怒鳴りあげている。

入賞を逃した彼らは明るく
「これでカラッぽや」とつぶやいた。

Tさんと私は自己最高のラップタイムを出した彼らに、
拍手をし、労をねぎらった。


彼らは二人の教師を胴上げし川に投げ込み、
自分らもてんでに飛び込んだ。
それはとつぜんの祝祭だった。

規則正しく流れる学校という制度的な時間を
消化するだけなら、
自分は果たして門をくぐり抜けただけのかどうか
戸惑うばかりだろう。

もしかして、
少年が大人になるために
自分たちだけの関門を自らの手で作り、
それを本気でくぐり抜けようとする苦闘を
今闘ったのではないか。

水辺で出会ったから、
Tさんにも私にも、
彼らの祭りがそんなふうに
透けて見えたのかもしれない。

                  (1997・3 古林 健司)




「便所掃除」から「トイレの神様」へ
 ある日の、みんな帰った後のことです。一階?(地下か?)のトイレで物音がし、のぞいてみるとY田さんが、柄杓で便器のなかのたまり水をかきだしていました。黙々と黄ばんだ汚水をバケツに入れては、二階?(一階か?)のトイレまで運んでいました。   トイレには、それはそれは綺麗な             女神さまがいるんやで〜 という、話題曲がありましたが、わたしがとっさに思い浮かべたのは、5,60年前の詩の一節でした。   便所を美しくする娘は   美しい子供をうむ といった母を思い出します   僕は男です   美しい妻に会えるかもしれません 浜口國雄という、国鉄の労働者の詩です。当時の公衆便所は今の人たちには、信じられぬほど、ひどい汚し方でした。だから、他の職場でも新人教育として便所掃除は必須科目でした。Y田さんは、そんなときのトイレ、いや「便所」を知っているのでしょう。   社会悪をふきとる思いで力いっぱいふきます   クレゾール液が 糞壺の中から七色の光で照らします  Y田さんが、そんなことを考えながら、詰まった便器に挑戦していたかどうか、わかりません。でも、とにかくひたすら同じ処理を繰り返していました。

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