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二年前の四月、「えんぴつの家だより」に、『教壇復帰』と題する小文を書いた。十六年振りに教壇に立つ。山の中の色鮮やかな校舎で、生徒がたった三人の日本一小さな学校で、毎週頭をひねって教案を作り、自分が学ぶみたいな授業をしようと書いた。
友人が、面白そうだから時々報告をしてほしい、と言ってきたが、ついぞ一遍の報告も出来ずに二年が過ぎ、三月十二日が三人の卒業式であった。
二日前に六甲の裏側は雪であったらしい。この日、車で山を登って行くと路肩には未だ雪が残っていた。ストーブが燃え盛る『神戸こども総合専門学院』の校舎内は暖かく、卒業式に集う人々はそれ以上に温かかった。たった三人なので一人ずつ証書が読まれ、卒業生が一人ずつ感謝の言葉を述べた。三人が三人とも屈折した青春とそこからようやく選んだ生きる道をこの小さな学校に求めただけあって、感謝の言葉は人々の胸に響き、涙する人が少なくなかった。
過ぎ去った授業の数々が思い出されてきた。最初の授業で、なぜ私が此処に立っているようになったのかと私小説のような話しをしたり、ある時は、日本国憲法を一緒に読んだり、児童虐待の新聞記事を読んだり、「所得と健康度(新生児1000人あたりの五年以内の死亡数)を見ると、キューバは所得は低いが健康度は米国をしのぐ」という資料にびっくりしたり、小児科医の山田真さんの本をみんなで順に朗読して、「へー」って感心したり、思った以上に楽しい二年であった。
三人は既に就職が決定していた。就職先の方々も式に参加しておられた。その一人、滋賀県の重い知的障害を持つ人たちの施設「止揚学園」」のリーダー福井達雨氏がスピーチをしてくれた。
挨拶のときも、お礼を言うときも、人に語りかけるときも、たった一つの言葉「おーっ、おーっ」だけで暮らしている青年がフルマラソンに参加した。スタート直後は金メダルを取れそうなほどのスピードで走るのだが、最後はいつもビリから十番以内。なぜなら彼は疲れて休んでいたりしゃがんでいたりしているランナーを見捨てることができなくて、「おーっ、おーっ」と励ますために立ち止まるのである。だから最終順位はビリから十番以内。彼こそ本当の金メダルに値するのだけれどね。
福井さんの話はいつ聞いてもストンと胸に落ちてくる。
日本一小さな学校の第一回卒業式は雪の残る六甲山の林の中であたたかく、あたたかく行われました。
政権交代が現実のものとなった。しかし、革命が起こったのではない。世の中の仕組みがそんなにすっかりと変わろうはずがない。
だが、新政権は、「『障害者自立支援法』廃止、『障がい者総合福祉法』制定」を宣言している。障害者を取り巻く状況がどう変わるのか不安である。『障がい者総合福祉法』とはどんな法律なのか、選挙直前にその名を耳にしただけで、どんな中身なのか全く分からないからである。
『障害者自立支援法』は当初から私たちが見抜いたとおり「悪法」であった。「悪法」なるが故に、次々と場当たり的な手直しがなされ迷走した。最後にはどの政党も「廃止」か「抜本的見直し」と公言した。だが、目指すべき方向性すら何処にも語られていない。
今求められているのは障害者福祉の本質に迫る論議だ。その論議は障害当事者の声を抜きには成り立たない。もし慌てて、例えば「利用者負担」を「応能負担」に替えるだけの「見直し」や、法の名称変更というような小手先の改革なら、再び迷走すること必至である。
本質に迫る論議の中には、例えば小規模作業所についての議論も含まれねばならない。全国に六千を越える作業所は障害者自らや家族などの手で、地域社会と結び付いて生み出された。だが、自立支援法は作業所を法の体系に移行させ全国の作業所をなくするように迫って来た。私たちは阪神淡路大震災の教訓として、障害者が安心してくらせるためには地域に「人の絆」を密に張り巡らせることと総括した。そして、地域に小さな「生きる場」としての作業所を作り出して来たのである。それは地域の福祉街づくりとしても追求されねばならないと考えている。そういう観点を論議せずに財源だけから判断して新体系へ移行させ、作業所をなくすことはどうなのか、本質的論議として検討されねばならないのではないか。
明石市は早くも政権交代に伴う民主党のマニフェスト(政権公約)が市政に与える影響を分析するプロジェクトチームを設置した。その具体的課題に「後期高齢者医療制度」や「障害者自立支援法の見直し」を上げている。新政権の動きを見つめよう。
「KSKRえんぴつの家だより」第292号 2009.10.10.発行
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